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『悪女』



メロディーとともに〜『悪女』

1999年11月

「逃げるな」「闘え」弱者力づける
隣家の幼児の泣き声。しかる母親の越え。老犬が繰り返し犬小屋をひっかく音。近所から延々と流れるカラオケの歌。周りに田んぼが広が る宮城県古川市の小さな裏通り。畠山恵美(36)は、ここではじけるように生きていた。しかし二年前、恋愛はぼろぼろ、生きがいを感じて いた地元タウン紙記者の職も失い、乳がんを告知された。「あたし、花火みたいにパアッて散っちゃう」と医師に漏らしたこともあった。

今は手紙や投稿文を毎日書き、夕方郵便局に向かう。週に俳句三句と短歌三首をしたためる。乳房を失った胸を有名写真家に撮ってもらお うと計画している。田舎の片隅で生きて、書いて、言葉と格闘しているのは「中島みゆきに恩返ししたい」からだ。

小学生のころ、母の胎内から出てすぐ死んだ弟の影に悩んだ。両親の争いが絶えなかった。帰宅した父親がテレビの音声を消した画面を見 詰めていたのは中学生のころ。やがて父親のジーパン縫製工場が倒産、競売で人手に渡る生家で自殺も考えた。そんな時、中島の歌は「何 でそんなこと知っているの。そばで見ていたの」と思うほど、見透かしたような歌詞で切り付けてきた。

何度も「死にたい」とあえぐ、ぎりぎりの生きざまを支えたのは「慰めや同情の言葉じゃない。逃げるなという歌だったんだよね」。だか ら「私にとって『闘いの法則』がみゆきの歌。闘え、バカヤロー、と怒鳴りつける歌です」。中島の歌が弱い者をはい上がらせるのは、耳 に心地よいメロディーに隠されたナイフが、心に封印した過去でさええぐり出し、そして泣いてもいいよ、包み込むからだ。

大阪市に住む落合真司(35)はその言葉の力にショックを受けた一人。
平成元年暮れ、大学卒業後就職したクレジットカード会社に辞表を出した。「彼女について書きたくて、気が付いたら、東京の出版社を回 るために新幹線のホームに立っていたんです」

「悪女」は昭和五十六年、それまでの流行歌になかった強烈な歌詞で歌謡界に浮かび上がった。うなじに男物のコロンをなすりつけ、浮気 をした恋人にわざと嫌われようとする女。でも悪女になれるのは、
♪涙 ぽろぽろぽろぽろ 流れて涸(か)れてから・・・♪ 
任侠(にんきょう)ものにも似た物語。

落合は「泣くことあります。人を傷つけたりしたことを思い出して。歌がそれを吐き出せ、と挑戦してくる」と言う。だから「今までの歌 になかった、こんなすごい表現者がいるということをだれかに伝えなくては」と仕事を辞めた。

「彼女は確かに歌で闘っていた」と思い出すのは放送作家寺崎要(50)。
デビュー後六年間、コンサートを共に企画していた。「足踏ん張って『ファイト』を歌うんですよ」

♪・・・闘う君の唄を 闘わない奴等(やつら)が笑うだろう・・・♪
高度成長期も終わりに差し掛かり、学生運動もなく明るく平和な時代だった。でも「歌で何かを伝えるのはいつでも真剣勝負だ」。歌謡界 は歌の上手下手とは関係ない。街の歩道でスカウトされてデビューする歌手すらいる。テレビ写りに人々が惑わされ、一九八〇年代後半に なるとバンドブームが到来、歌の言葉は楽器の一つになりさがり、空洞化していった。

虚像を映し出すテレビを中島は「皆が過大評価し、何か違う、と思わせる。失望した」と出演を拒む。逆に寺崎の紹介で始めた「オールナ イトニッポン」(ニッポン放送)のディスクジョッキーは八年間続投。ラジオは伝えたい言葉を乗せられる挑戦の場だった。哀歌の歌い手と いう暗いイメージを覆し、キャハハと笑う。明るい「裏切る声」は、ファンだけでなく、初めて中島の声を聞く人もノックアウトできる。

「十分辛くて、初めて人は幸せになれるんです。くじけないで、頑張ってください」。中卒で仕事がない女の子。狭い田舎を捨てきれない 人、反抗期の男の子など打ちひしがれた人々に向けてこう語り掛け、昭和六十二年三月、八年間の番組を締めくくった。

中島みゆきが歌を作るとき、集中するために窓に黒いシートを張り光を遮断する。コンサートは「ひどく緊張し、苦痛なほどピリピリした 状態」になる。それは、やせた体に厚着して、作り笑いを浮かべたような豊かな世の中に逆らい、人々に伝わる消えない歌作りのため「言 葉を創造し、追い続ける人」(寺崎)になるからだ。

晴れた日、畠山恵美が自転車に乗って口ずさむのは中島の歌ではなく、自分の俳句だ。
 輪に入らず 孤にもなれずに 夏雲雀(ひばり)
 中島の後を追って、新たに闘い始めた恵美の姿があった。 (敬称略)

<写真:本当は悪女になれない人の歌>
「『悪女』って、本当は悪女になれない人の歌なんだよね」と美人がぽつり。高校留学時代アメリカはミシガン州の片田舎で、淡い恋もし た。結婚の二文字がよぎったこともある。でもわたしは政界の「星飛雄馬」。心にゃ政治家養成ギプスがしっかりはまっている。寂しいな んて言ってられない。あさってには衆院本会議場で「ぎちょオー(議長)」って叫けばなけりゃ。野田聖子39歳。ちょっと前まで郵政大臣を やっていた=東京・有楽町、JRガード下の大衆酒場。

<文:津山恵子>

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