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昔の緒絶川


目 次

(一)緒絶川〜近所のこと

郵政省『21世紀に私たちが伝えたい東北のもの』 1999年11月

【緒絶の橋(おだえのはし)〜宮城県古川市】


今の緒絶川



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■【緒絶川〜近所のこと】
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緒絶の橋を思いうかべる時は、ユーミンの「卒業写真」がいい。緒絶の橋を曲がると、すぐに、古川第一小学校、古川中学校、古川女子高 校がある。十二年間、そこは私の通学路だった。

歌詞にはある電車は走ってはいないけれど、柳は揺れている。私の私たちの十二年間をずっと見続けていてくれた柳、話しかけるようにゆ れる柳の下を私たちは通った。どんな増水も、通学路を濡らすことはなかった。大雨のための一斉下校。朝もうちょいで溢(あふ)れそうだ ったから浸水しているはずという子供たちの期待に、川は橋は答えてはくれなかった。

小学生の目に、古女高生は憧れの存在だった。お尻まで長い髪を三つ編みにしてた後姿は、柳を抜けると桜の下に集う。タンポポの小路を なごやかな笑い声とともに進んでいく。私もいつか、あの人たちになりたい。古女高生になった私は、柳の下を卒業しなければならない日 が近いことが、寂しくて悲しかった。

橋のそばにある宇野病院の先生は、かかりつけ。しょっちゅう自家中毒をおこしていた私をおじいちゃん先生は、生真面目(きまじめ)に迎 えてくれた。そして、いつも「胸出して」と言うと、前の患者さんのカルテの計算をした。「先生、寒いんだけど私」。イヤな注射のご褒 美は、一心堂のカステラ。今では、純和菓子専門店になった一心堂、幻の洋菓子は、とてもおいしかった。

一心堂のおばちゃんの笑顔は、美しかった。
反対側には「あさや」があって、昔麻縄を売っていたからの屋号らしいけれど、どんなに朝早くても「あさや」のおじいちゃんは店を開け ていた、だから「あさや」って言うんだと思っていた。その隣の商店では、十円で十個+一個、飴玉を売ってくれた。そこはのちに歯医者 になり、そういう理由だから一個オマケだったのかと思った。

古川まつりがまだ、古川七夕と言っていたころ、父は、勇んで私を肩車してくれた。
ただし、緒絶の橋まで。そこから急に人が多くなる。柳の下で私を降ろして『俺はこんな人込みイヤだ』と母に怒る。でもまだ手をつない でくれている。七日町に曲がる徳陽銀行の前では、タコのはっちゃん風船屋がいた。買ってくれとは言えない雰囲気。中程にある丸金の前 にくると、手は離され毎年私は迷子になる。父も母もメチャメチャに怒る。「手を離した人の責任って」。今、私は古川まつりに行くこと は少ない。緒絶の橋のところで『オラ人込みやんだおん』、父の娘だ。

分店のノリコちゃんとは十二年間一度も一緒のクラスになったことはない。清水くんちは瀬戸物屋さん。淳ちゃんちが『橋平』。ユキちゃ んの弟のタコボンは、鼻水垂らしながらザリガニを取る。橋のソバの同級生は、1キロも住んでいる所が違わないのに、小綺麗で眩しかっ た。

「ゆれる柳の下を」私は何を思って通っていたのだろう。小さな小さな私は、赤いリボンでランドセルの上を止められていた。中学になっ ても制服に着られている子だった。サーアッと自転車で駆け抜けた高校生活。いつもいつもあの柳の下の出来事だった。

<緒絶の柳>
緒絶の橋のきわには、柳の木があります。何度も朽ち果て、何度も新しく芽吹いたえ柳の木です。
かたちあるもの、いつかはきえる。それでもきえないものがある。 心細くなると、私は柳の木に会いに行きます。昼間だから、揺れる葉 に手をやったり、幹に軽く触れたり。

夜、どうしてもやるせない心を持ったまんま家に帰れない時、柳を丸ごと抱いて、話を聞いてもらいます。柳はたおやかに想いを吸収し、 新しい力を私にくれます。緒絶の橋のきわの柳の木は、そんな柳の木です。

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