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日々のTOZEN・1

2005.10.1〜

(最初)



2005.平成17年10月31日(月)

■【10月31日・・・残364日】

赤ペンで指紋を埋めて神無月

目前、11月なのである。
明日朝は、霜が降りるというので、外に寝てるわけではないけれど、湯たんぽを出してみた。今年は、灯油が高い。一人で暮らしてみて、 初回の電気代の請求書にびびったが、案外灯油よか、エアコンのが安いのかもしれない。てか、その前に、この部屋に隙間がなければの話 だけどね。コタツは、あえて場所をとるので、このままテーブルがわりで、今季はいくつもりだ。

そうそう・・・寒い時は、さっさと布団で寝ちゃえばいいのさ。
しかし、11月だなあ。2月に引っ越すって希望があって、4月かなって絶望があって、11月までにはって再起があって、地震があって、 やっぱりまだこの部屋にいて、11月を迎えるんだものね。

42になってまだ2日だけど、特別かわらないなあ。なにからかえていかなければならないのかはわからない。でも、明日のことは明日が 心配する。流れるままに、導かれるままに。


2005.平成17年10月30日(日)

■【10月30日・・・0・・・残365日】

初霜も喜びにいて誕生日

誕生日だ。
ああ、誕生日さ。日付が変わった瞬間、まーちゃんがメールくれて、やや遅れて教授☆もくれて、昼にカズコちゃんからメールがきて・・ ・。いやあ、いつになく、忘れ去られた誕生日は否めないわあ。特別な日だちゅーことはないけど、いやいや、まじで、誕生日に、ダーリ ンがいたためしがない〜いた気もするが、なにもやってもらえないのはカウントしない。

42か。別にイヤではない。 でも、42になるなんて、中学校の時に思いもしなかったなあ。てか、今までの誕生日で、いきなり祝ってもらったちゅーことがないから、 誕生日を意識したちゅーことも、さほどないけど。今日は、ちょびっとさびしかったなあ。なにが欲しいとか、そういうことじゃないのだ けどね。イワシとご飯と、野菜スープで夕飯・・・ケーキは、明日かな。


2005.平成17年10月29日(土)

■【10月29日・・・残1日】

各々は個性と呼びて紅葉狩り

北上川は、すごい。
晴れている時もすごいけど、雨の時もすごい。雨が降ってもちっとも動じない。「雨?、降れば」って、滔々と流れているんだもんな。む しろ、雨の日のほうが、ゆるやかに流れているんだもんな。この場合、北上川は、当然、岩手のです。

集いは、楽しかった・・・いや、おいしかった。焼きそばがおいしかった。団子もおいしかった。ニョッキはあれ?だった(失礼)。お寿 司もサラダもお漬物もみんなみんな、みなさんのお気持ちが入っていて、おいしかった。そして、楽しい。穏やかな気持ちになれる。・・ ・岩手は好きだ。

帰りは、すっかり陽が暮れて、東の空の木星がくっきり見えて、また山の中ってたたずまいが、凛としていて、すてきだった。北上川は、 暗くて見えなくって、残念だったけど。41歳最後の日に、岩手に、また身を置けたのは、幸せなことだ。


2005.平成17年10月28日(金)

■【10月28日・・・残2日】

白鷺やついばむ空の碧き色

傷が痛い。
今年は、寒さが、すごく身にこたえる。右の傷痕も、そろそろ古傷の分野だ。左傷は縦であり、右傷は横だから、中央でよじれる。決して 同じレベルにはならない痛みなんだよなあ。左が痛い時は、息がしにくく、右が痛い時は、身体が動きづらい。とりあえず、カイロを貼っ て様子をみてはいるが、根本的な解決や治療ではない。

夏は、体温調節ができなくて、汗が出なかったりする。じゃあ冬はというと、この痛みと冷えで内臓の動きが止まることだ。自分の身体が 自分のものではないこと、借り物ってことを自覚する。それでも他人は、甘えてるとか頑張れとか言うけどな。なら、自分もなってみろよ と、喉元で飲み込む。でも・・・これが、私の身体であり、生きているちゅー痛みなんだから、なあ。 


2005.平成17年10月27日(木)

■【10月27日・・・残3日】

カナダからメープル紅葉の便りあり

暇だ。てーのは、違うかも。なんかに与えられた時間。帳尻を合わせるかのような時間っていうのかな。去年の今ごろは、体調が悪かった。 「走り過ぎたんだから、誕生日まで休んでろって意味だ」と励まされて乗り切ることができた。だとすると、今年は、いろいろ有り過ぎた ことと、今ない(ように見える)ことがイコールになるように、とても穏やかで静かな時間を、満喫しろと言われているがごとくだ。

とりたてて、かなり焦ることも、泣くような悩むようなこともない。神様に与えられた時間というのかな。 今年学んだことは・・・迷ってしまったことの答えは、きっとNOだ。YESの時は、一瞬の躊躇のうちに前進している。 きっと今は、その前進のための、準備体操の時間。きっと、そう。


2005.平成17年10月26日(水)

■【10月26日・・・残4日】

枯れ草もあり涸れ湖渡る風ありて

動物的カンでは、もう何かが動いているはずだ。そう思って、生き延びてきた。もうちょっと、もうちょっとなのだ。どれがどのくらいで もうちょっとなのかは、動物的カンであるから言えないのだが。

どの占いでも、40過ぎからの人生だった。それは幸せを絵に描いたようなものであり、想像もつかないものらしい。それは、私一人で起 こすべきことではなく、幸運な偶然で知り合うことになる、あるいは再会することになる伴侶とともにらしい。私が、40過ぎて、男の子 二人得ると言い切ったものも多数ある。

しかし、それっていつ?。40と、41を過ごした。てか、あと8年、40過ぎはある。てか、出産可能年齢は、あと2年だとすると・・ ・。言われたように待っているのに。待ってるだけではダメなのかしら。ふう。


2005.平成17年10月25日(火)

■【10月25日・・・残5日】

永久の欠番が問ふ秋の名を

なつかしい名前が、ニュースから流れてきた。なつかしいというよりは、いつも気になっていた名前だ。ここに来てからも、何度も思い出 していた。まだ競売にかかる前の床屋の一番奥の椅子に、その子は心細そそうに座っていた。きっと床屋も嫌いだったのだろうし、これか ら問われる自分の名前を、からかわれることがイヤだったのかもしれない。

彼は、幼稚園児であって、私は、単なる床屋にすぎない。特別仲良しのお客さんではなかった。私が床屋を辞めて、12年にもなるという のに。あの子が亡くなった。青森の「本郷川橋」という高速道路の工事をしていて、強風に飛ばされ、16m下に落下したという。23歳 だった。もう、23歳になっていたのか。接点があったとしても、小5までだった子なのに、名前以外思い出してなんかやれないのに。

年配のお客さんが逝くのは、順番だ。でも、若い人に逝かれるのは、心にさざ波がたつ。幸せだったんだろうかと思う。夜遅くのニュース では、皇室のだれかが、動物園に行ったとか行かないとかと言っている。事故なんか、当たり前にありふれた事実なんだろうけど。少なく とも、私の大切なお客さんだった人が、今日、天に召されたのに。


2005.平成17年10月24日(月)

■【10月24日・・・残6日】

あの人を終わりにしては畑仕舞い

やっと『神様のボート』を読み終わった。てか、まじめに読めば、1日で読んだだろう。てか、まじめに読まなかったのかと言えば、とて もまじめに入り込んで、一気に読むのがこわかった。

一組の知ってる母娘を思い浮かべた。二組かもしれない。でも、どちらにも、あてはまりはしない母娘だった。私は、どちらかと言えば草 子ちゃんだ。でも、気持ちは葉子さんだ。でも、葉子さんのような生活していく逞しさはない。結末のような、私の結末が欲しいと思う。 旅をしていく気力を持てば、いつかそんな日がくるかもしれない。そう祈りたい。


2005.平成17年10月23日(日)

■【10月23日・・・残7日】

秋簾偉くなる人残る人

無駄だと思うことがある。酒、タバコ、ギャンブル・・・。まあまあ、昨日の競馬の当選金は、一人で買ってると億になったらしいが・・ ・まーちゃん買ってなくって、がっくし。無駄ちゅーか、生活に存在する習慣がないから、タバコ・・・灰皿を出す習慣がない。タバコ出 されても、気がつかない時がある。

まあまあ、その一貫なんだろうけど、バスタオル。風呂からあがる時、普通のタオルでマメに拭く。大昔、風呂上がりのバスタオルにあこ がれた時代があった。しかし、それは、パパママと呼んで「フランス人じゃない!」(?)と言われたような必然性のなさで、タオルでマ メに拭いてからじゃないと、バスタオルを使わせてもらえないので、所望をやめた。

タオルたって、この部屋に来てからだから、もう指のあとが薄くなってんで、かえなきゃなんない。もちろんゴワゴワしてる。でも、かえ られないのよね。きっと、風呂場でお役御免になったら、眠る時に、首に巻くね。 うーん。バスタオルのバーゲンに群がる人たちの気持ちがわからん。


2005.平成17年10月22日(土)

■【10月22日・・・残8日】

そそのかす術さえ知らず秋桜

私は、正しくは、売れっ子ではない。有名でもない。でも、書くことには、一応、プライドはもっている。自己紹介をする時、「文章を書 いています」と言う。時にそれは、投稿マニアにとって、カッコウの獲物になる。「私も書いてるんですう〜」。一応、私は、デビューは してる。それでお金をもらってたりする。まだボーダってとこでもあるが、そのギリギリのプライドだ。そんなプライドは、屁よりも落ち るのかもしれない。

「今日は、どんな書き物したんですか」と聞かれる。聞き返す。ご自分の壮絶な人生の大作を書いてると相手は答える。締め切りも言う。 その方は、300枚書かねば応募できないのに、まだ10数枚だったりする。「主人が、会社でパソコン使うから、家にあるのがいやだっ て言って。ワープロがないからそんなに書けないんです」・・・パソコンとワープロは違うし、ワープロがないから、文章が進まないのと は絶対違う。

「ボールペンが切れて」・・・300枚手書きするなら、私は、原稿用紙600枚以上と、同じボールペンをダースで用意する。悪いが、 やる気がないのだ。そういうレベルのヤツに「あたしたち、物書きですよね」と、言われると、とーても、いやだ。一緒にするな。よるな。 「景気悪いから、作家にでもなろうかと思って」・・・論外。ものを書くなら、自分の血肉さえ切り取って書け。できないなら、書くな。 ふん。 もっと言いたいが、いつかねっ!。


2005.平成17年10月21日(金)

■【10月21日・・・残9日】

短日や影もたちまち行き過ぎる

いよいよ、10日、切ったぞ。 寒い。冬物は、まだ段ボールの中だ。出さなければならないのだが、いろんな思いで荷造った段ボールを開ける時に、ムカムカしそうだ。 また、ナガイをしてしまいそうで躊躇してしまう。って、この時点で、来月も、いや、今年はここにいるんだろうけど。それにしても、貧 乏だ。新しい服を買った最後は、去年だと思う。てか、なにも持ち出してないから、買わざるを得なかったアイテムであった。仕事用、普 段着とわけてはいたけれど、そのうちタラタラ着てしまって、みんな洗いざらしの着たきり雀状態になっている。

八百屋さんに行くのも、ちょっとはずかしい気がする。しかし、貧乏だ。ここで、ブラウスの一枚買ったって、貧乏にかわりないんだけれ ど、買う必要もない。それでも、着回してばかりいると、なんか、心も貧しくなる。新品の服だ〜っていうのがやりたいんだと思う、本能 では。

雨露しのげるところで眠れて、空腹が満ちるくらい食べられるだけで幸せなハズなのに。贅沢って、きりがないなあ。冬物を出したら、去 年と同じものでも、今時点より目先はかわる。思い切って、勇気出して、段ボールあけないとなあ。


2005.平成17年10月20日(木)

■【10月20日・・・残10日】

夕暮れて麒麟の貌のひつじ雲

きく乃おばさんの誕生日である。
おばさんといっても、祖父の長姉。会ったことはない。存命していたら、108歳だ。うーん。会ったこともないのに、私は、おばさんが 大好きだ。20歳で亡くなっている。祖父は、2歳だ。うーん。もうひとつ、今日は、特別な日だ。昭和52年の今日、私は、作文を書い た。末尾に「おばあさんが、ついていてくれたので書けました」と書いた。

確かに、祖母は、部屋の入り口に、ぺっこりと座って、「オレのごども書いてけろ」と言った。長い間、この作文を私は、さがしていた。 どっこにもなくって、記憶そのものが間違いだったと思えた、平成9年。タイムカプセルの中から出てきた。土の中じゃ、さがしてもみつ からないわな。14歳の私から、34歳の私は、ケンカをうられちまった。

それくらい祖母の言葉がみちみちている作文。「10月20日ってなんかあんだよな〜」と記憶していたのは、作文の日付だったりした。 一年って、365(366)日しかないから、どの日も、なんらかの意味を持った日なんだろうけど。夕方、本家のお墓の前に、のへへん と座って、これから、自分がどこに行こうとしているのかを、考えたんだか・・・考えなかったんだか。


2005.平成17年10月19日(水)

■【10月19日・・・残11日】

染めかえて長旅支度峰の秋

白髪染めをするようになって、丸1年だ。
てか、今日は、残りわずかだった、カラーマニュキュアを生え際にチョチョチョイしただけだけど。完全白髪染めしたのは、1月の終わり だったかな。黒くて太くて堅くて、まっすぐな髪。部分カツラも、私の髪の黒のがきれいでバレてたくらいの唯一自慢の髪。31歳の夏、 左の分け目のところだけ、赤でメッシュをいれてみたが、黒が勝ってしまった。とほほ。

年齢的なものだったのか、抗がん剤のなせる技だったか。33歳の晩夏から、髪が柔らかくなり、前の右生え際と襟足がくせっ毛だったと 判明した。手術すると、全身麻酔の後遺症なのか、前生え際(前額生際部)に、集中して白髪が生える。祖母たちも母もそうだった。長い 間、彼女たちの頭を染めてきて、自分もそうなるんだろうと覚悟してきた。しかし、私の前側の白髪は、遅々として生えてはこなかった。

去年の夏に、カラーマニュキュアを気分転換に塗ってみた。なんか、バランスが悪い・・・よーく、頭を分解してみたら、私は、前に集中 してるんでなく、両脇の分け目ラインに群棲してることを発見した。おしゃれ染めをすっとばして、白髪染めにいくのは、対してショック じゃなかったけどね。

相変わらず、すっぴんだけど、最近、ムショウニお化粧したい・・・。そうなのね。
化粧しなければならない時期は、絶対くるし、白髪染めしなきゃならない時期も絶対くるわけで、それまでは、自分ちゅー素材を楽しまな いと。ハゲルと言われてはいるが、カラーマニュキュアが避けていったソリコミ部分の白髪を、必死に抜いたのは言うまでもない。あるか らイヤなのではなく、かゆいからでーす。


2005.平成17年10月18日(火)

■【10月18日・・・残12日】

柿紅葉紀元は二千六百年

壽:もたいまさこさま、ご生誕53年。
鳥越俊太郎さん、いいっすね。てか、昭和27年生まれの女性にひかれるだけでなく、私、昭和15年早生まれの男性にも、実はひかれて いるわけで。てか、うちの父が、そうなのね〜。〜畠山の男たちは、今、本家の伯父ちゃんが70過ぎて健在なだけで、どうも、他は50 代半ばでは、とっとと逝ってしまうから、「おじいさん」=老人世代のイメージが、持てなかったりします。

であるからにして、ひかれるなあと思ったら、鳥越さんは、父と同じでした。小林旭(昔の)似の父も、生きてたら、鳥越さんくらいシブ クなってるといいなあと想像する次第。と、鳥越さんの独占インタビューが読みたくて、大枚300円を投じて、サンデー毎日を購入・・ ・『ミセス通信』〜「大人のデートに必要なもの」(原文のが、味があるのに、手をいれよって)に採用されてた。一日待てば、掲載誌が 送られてきたのに・・・いや、鳥越さん確認オシッ!で、家に戻ってきてから気がついたんだもん。

先日、「鳥越さんにファンレター書かないの?」と問われ、「ちゃんと文章書いていれば、いつかは、会えるわ」などと豪語してみたら、 予感だったのかしらん。鳥越さんが、『ミセス通信』読むとは限らないけど・・・うわっ。てへっ。・・・介護問題がなければ、65歳は、 OK範囲なんだけどなあ〜。


2005.平成17年10月17日(月)

■【10月17日・・・残13日】

最愛とうたう唇秋麗ら

時に、とてもここちよい疲れの中にいる。
とても必要なことだと、それが重なっていくたびに思う。思うのではなく、長かったなと実感する。はじまらないから、おわらない。はじ めてないから、おわりようがない。流れの中でたまたま折り合う接点のようだ。
答えは、あと19年先にしか、わからない。たぶん。


2005.平成17年10月16日(日)

■【10月16日・・・残14日】

待ち人はかならず来ると居待月

金木犀も、終わりです。
あっという間です。それでも、愛でることができて、とてもよかったと思います。歳をとるって、しみじみ思います。てか、私は、いわゆ る普通の40代の発想がなくって〜マンションや車をローンくんで買うとか〜、なんか、たらたら生きてますけどね。歳は、戸籍年齢は、 毎年間違いなくカウントされていきます。

30代は、その先に、一発逆転の人生があると思ってました。とにかく、40代に行けばなんとかなるって。まあ、40歳まで生きられる ってことが重要だったわけですからね。でも、40を過ぎてみて思うのは、いきなりの一発逆転はないだろうなってことです。ならば、4 0代には、その先にどう生きていきたいかという希望が、欲しい。

それを、目標というのかもしれないけれど。多くは望まないから、穏やかに穏やかに生きていけたら、ただそれだけ。今日の葵ちゃんの放 送は、カミマセンでして、いい放送でしたわ。


2005.平成17年10月15日(土)

■【10月15日・・・残15日】

秋祭り雨を吸い込む神楽衣装

土曜日なので、また雨です。
非常に、心が重いです。戻りたくないものは、戻りたくない。現状がいいとは言えない。現状を続けたって、負荷が増えるだけでどうすん だと説得した気持ちが、理解できないことはない。でも、だからって、戻ると=になるとは限らない。イヤだと思った気持ちがフラッシュ バックする。それを再びされることは、たいして問題ではない。

ただ生活していくにおいて、生活する言葉が凍っているのはどうすればいいのかってこと。あまりにも、自分以外の人生を、軽く考えては いないだろうか。一泊二日の家出じゃなくって、一年半の生活や借金があり、人間関係もあるのを、無視してないだろうか。偉そうなこと を言える身分ではない。けれど。親と子供がわかりあえるなんて、うそ。なんだかんだいっても親子も、うそ。親のために生きろって言え るやつは、そう生きてきたのかって。
ただ平穏に生きている場所に、安易に爆弾を投げ付ける、血縁という甘えに。


2005.平成17年10月14日(金)

■【10月14日・・・残16日】

天高く志もまた高く振り仰ぐ

朝方まで、打ち込みをしていました。
4年前に書いた小説です。データを持ってきてなかったのですが、プリントアウトしたのを元上司が提供してくださいました。今まで発表 の機会がなかったというか、読み返すだけの余力が私になかったといいますか。いつか、旅をさせてやりたいと思って寝かせていた小説で す。打ち込みながら、推敲してかととりかかったものの、読めない漢字があったり、自分が書いたとは思えない表現があったり。練られて いない箇所もありましたが、4年経った自分が簡単に手を入れていいものかという壁があり、単純に打ちミスの部分だけ治して打ち込みま した。

本当に自分が書いたのか、時々わからない、自分の書いた文章に出会うことがあります。その時、しばし、過去の自分ってすげえって思っ たりします。まあ、手前ミソの範囲なんでしょうけど。


2005.平成17年10月13日(木)

■【10月13日・・・残17日】

嫁がずに漬け方上手秋の茄子

茄子漬けを、去年から漬けている。
塩とミョウバンに、私は玉砂糖を1ミリくらい入れる。酸味が出てくれると、ブラボーなのだが、なかなか適度なしょっぱ〜いにしかなら ないので、がっくしとなる。今年は、茄子は多く出回っているが、微妙に高い。もちろん漬け茄子用の細い小さいのだが。去年は、1袋2 0本くらい入って105円だった気がするが、今年は、158円くらいはする。

一時、茄子がなくなった・・・あらら、茄子漬け時期も終わりか?と思ったら、稲刈りの時期でした・・・嫁に食わすな、秋茄子ですもん ね。皮は、ちと堅くなっていますけどね。たぶん今年最後の茄子漬けを漬けました。一袋53円のを三袋まとめて、桶にどさーっと。風呂 上がりの一カジリが、また、うめ〜んだ。

・・・てか、茄子漬けって、居酒屋で注文する派の人は、一味やカラシを醤油に溶いて食べるんだってね。この知識も去年から。邪道だと、 私は思います。


2005.平成17年10月12日(水)

■【10月12日・・・残18日】

できあいの総菜ならべ馬肥ゆる 

一人暮らしの食生活は、自分がOKを出せば、なんでもありだ。要は、満腹になればいい。とはいえ、2月以来の食欲不振、9月半ばから の投薬による食欲から考えると、何でもいいから食えばいいという問題でもないのは、よくわかる。うちの近所には、スーパーがない。八 百屋さんと魚屋さんと肉屋さんがあるので、大抵のものは揃う。が、時に、材料を買い揃えるより、お弁当やカップ麺のが、食費が安い時 もある。

今週は、ダメだな。ほか弁ののり弁は230円だし、ご飯がちょっとしかない時に、63円のカップ麺は貴重。そこには、季節感もへった くれもないわけだ。まだ、夏の食欲がまったくなかった時に、必死に流し込んでいた、タマネギとトマトの野菜スープのが、滋養になった 気がする。いかん、いかん、バカバカエミチャン。


2005.平成17年10月11日(火)

■【10月11日・・・残19日】

わからないことばかりなり菊供養

どなたが、私のこのHP見てくださってるんでしょう。まあ、掲示板にこそっとなんか書いていただければいいなと思っています。ワープ ロなので、そのお話に直接書き込みの返事ができないのですけど。メアド入れていただければ、お返事しますんで。よかったら。

さて。 街の中に、自転車屋さんが少なくなったような気がする。郊外の大型スーパーやホームセンターに行けば、ちょっと豪華な食事するくらい で自転車が売っている。でも、そこで「ちょっと空気入れたいんですけど」はできにくい、できないわけじゃないんだけどね。てか、抜け そうだなって時、そこまで行けないちゅーか。近ごろ、私の愛車の走りがにぶい。うー、自転車屋さんが見つからない。

・・まあまあ、そんな愛車でたらたら走ってたら、すごい自動販売機を見つけました。オール100円だけど一社ものに、遠くからなら見 える。見本のディスプレイのとこに、やたらゴミついてんなーと近寄って見たら・・・中に、本当に入っている飲み物が小さい文字で書か れた小さい紙切れが、貼ってありました。意味ないじゃん、見本。

本物の飲み物の文字は、老眼にはなかなかキツイくらい小さい。いっそ「オールお楽しみ」で、コーヒーかスポーツドリンク系かだけわけ ればいいのになあと、思ってしまいました。なかなかナイスな自販機です。

2005.平成17年10月10日(月)

■【10月10日・・・残20日】

小春日や縁ある人のありなしと

私は、乳がんをしている。右卵巣もない。そして、あと20日で、42歳になる。だから、あきらめなければならないことって、なにかあ るだろうか。私自身が望まなければ、やらないことはたらふくある。生物的なものとしては、あと3年ほどで、自然出産可能年齢ではなく なり、その時はじめて、あきらめるという事実が必要になるだけのことだ。誰にもしばられることではない。誰もしばることなんかできな い。私自身の問題だ。

私は、他人に打たれ強い。しかし、血縁に打たれ弱い・・・じゃなく、血縁の言う意味が、理解できず、凹む。「もう42でしょ。男も結 婚もいらねーちゃ」と言われた。続けて、古くからの知り合いに、私をもらってくれと頼んだら、断られたとも。犬猫でも、今は、もらわ れ先を選ぶ。

経済的な現状で、今の一人暮らしがかなり厳しくなっているのは事実だ。4月から倒れてばかりいる。99%の人が、実家に帰れと言う。 おっぱいもないし、一人暮らしの中で恋愛もしたことだし、後は余生として、老いていく母の世話だけして生きろと言う。

乳がんして、42歳なら、恋愛も結婚も、出産も、あきらめなければならないの?。
なんのために、「40歳過ぎたら、だ」と自分に気合いれて生き延びてきたっていうの。
現実に、男ができなくてもいい。出産も結婚もなかったとしても、自分の人生をうらまない。でもトライもできないのに、決めつけられる のなら、私は、生きてなくていい。夕方から、私は、激しく、へこんでいる。

2005.平成17年10月9日(日)

■【10月9日・・・残21日】

新米をワシワシワシと喰らうひと

葵ちゃん、お帰りなさ〜い。待ってました。かむなあ〜。水飲む音、マイクに入ってるって、瞬刻の間がある。でも、やっぱ、葵ちゃんは、 マイクの前にいてほしい。DJやっててほしい。リクエストも読んでいただいたが、これからまた、二人でがんばっていきましょうね〜。 うれしいなあ。

お昼に降ったタキのような雨のおかげで、金木犀がよりいっそうの匂いを出している中で、葵ちゃんのラジオを聞けて、幸せ。ああ、ささ やかでいいんです。幸せちゅーもんは・・・。

で。夜は、NHKアーカイブスで、何度目かの『男たちの旅路〜シルバーシート』を、見た。
笠智衆さんが、お亡くなりになって13回忌だから、その13年くらい前にも、見ていることになる。その時の感想は、「生きてるもん、 勝ちだ」。そのころは、加藤嘉さんも志村喬さんも、藤原釜足さんも鶴田浩二さんもお亡くなりになられていた。「どう生きてきたことに、 尊敬されてはダメですか」に、笠さんを思い、そんな答えを言っていた。演技がうまくなくても、生きてるだけで、おじいさん役がやれる。 それだけで、貴い。

まだ20代の私。20代と言っても、放送当時25歳の桃井かおりさんよりは年上だった。その時も言った。「あなたの20年後が、私た ちだ」と言われた鶴田さんに、「20年生きなかったじゃん」。

老人ホームと呼ばれるところも、ずいぶん変わった。28年前の70代の老いと、今の70代の老いでは、かなり違う。当然、20代も違 う。私は、役の中の鶴田さんに近いのだろう。でも、あんな確固たる威厳を持ってはいない。

人は、生まれた瞬間から、老いに向かう。私は、どんな老人になるんだろう。老人になれればいいが。「子供をたくさん育てただけ」のお ばあさんが、尊敬されて、いい。絶対に、いい。


2005.平成17年10月8日(土)

■【10月8日・・・残22日】

ハードルは秋鬱なれど打つなれど

土曜日雨なんですけど、今週も・・・別に出かけないからいいけど。時々思う、薬より症状が越してる瞬間を。薬では押さえきれない瞬間 があるなあって。それが、私のかかえてしまった病ちゅーやつなんだけど。メガネを具合が悪い。てか、気がついてから、2カ月くらいに なる。てか、その間に、とびきり腕のいいメガネ技術者のいるイキツケに3度行ってんだけど。

すみません、届け物です。ついでにみてもらえばいいのに、どうも、まっ、いいかと帰って来てしまう。遠慮しちゃうんだよなあ。いずれ 近日中に、治してもらわないと、いかん。歯医者と同じで、相当困らないと行けない場所が、眼鏡屋さんなのかもしれんなあ。


2005.平成17年10月7日(金)

■【10月7日・・・残23日】

廻りきてまたスタートの金木犀

久々に駅前に出たら・・・我が「かうふぃかん」が、なくなってました。珈琲の自家焙煎の喫茶店です。客の入りも悪くなく、回転も速い。 いや、そんな経営のことはどうでもいい。いくら、岩出山に本店あるから言われても、泉に新店舗できると張り紙されてても、なんで、9 月いっぱいで閉めるわけ?。最後の一杯が飲めなかったじゃないの〜。

この店は、コーヒーのパンフを書き上げるにあたって、私の知識の根源みたいな店でした。コーヒーに関することは、マスターから学びま した。胃が悪い時ほど、エスプレッソみたいなコーヒー飲めとかね。ううっ、なんでだ。

しょぼくれて帰ると・・・情報誌に「葵ちゃんのAMO復活」と・・・。ああ、宮城以外の方はご存じない。それに世代的には、私もAM O世代ではない。あの伝説の「現役アナウンサー:高荒葵」さんが、ラジオに戻ってくるって!。生きててよかった、待ってたよ、葵ちゃ ん〜。リクエストハガキを忠実に読んで曲につなげてくれる職人技は、葵ちゃんしかできません。

私は、葵ちゃんを尊敬しとります。初回は、9日午後2時から、「ラジオは1260メガヘルツ、東北放送です」。お帰り〜、葵ちゃん。 ・・・正しい者は、勝つんですってっ。なくなってしまうものがあり、希望を持って待ってたら帰って来てくれる人があったり、人生だな って、しみじみ思える、一日でした。 あー、葵ちゃん聴きながら、こうふぃかんのコーヒー飲みたかったっ。


2005.平成17年10月6日(木)

■【10月6日・・・残24日】

秋茄子の皮は面の皮ごとし

夏木マリさんの『カッコいい女!』を、一気読みしました。「なりたい」じゃダメ、「なる」と言い切る。運命のせいにしないで、自分が 行きたい方向に心の焦点を持っていく。

古くからの友人にひじょうに似ていると思った次第です。彼女も、自分への投資は惜しまない。自分の人生をどう楽しむか、どうステップ アップするかが先にあって、生活は、貧乏でも平気という女性です。夏木さんは、貧乏ちゅーても、私ら庶民とはレベルが違うもんでしょ うが、いさぎいい生き方です。

そうそう、夏木さんも、27年生まれ(ピーターも)なんですね。やっぱり、27年生まれは、強いわ。
 ・・・宮沢りえちゃんのCMに感化され、大根と豚コマをダシ煮しました。


2005.平成17年10月5日(水)

■【10月5日・・・残25日】

我おもふゆえに達磨の忌のありて

ずっと雨で窓を閉ざしてたので、気がつきませんでしたが、隣の家の金木犀が満開になってました。すばらしい。去年は、うっかり見損な ったので、見られる今年を幸せに思います。

さて。今年の夏勝負をかけた作品の結果が、きました。最後まで競ったのか、初めて電話連絡でした。審査員奨励賞、2等、6回目です。 1等でないと、放送されません。喜ばなければならないのですが、喜べません。どうしたら、1等になれるんだろう。1等になって放送さ れたいのです。

何の賞かは、主催者の公式発表の後に、書きたいと思います。ため息だ。ため息つきすぎると、幸せが逃げていきそうだから、ため息を袋 につめて、来年の夏に、来年こそ、がんばってやるっ。


2005.平成17年10月4日(火)

■【10月4日・・・残26日】

繰り返し繰り返しかな柿紅葉

勘弁してくれ、テレビ・・・。「ハルとナツ」ちゅーベースがありまして、なんでその時期、番組改編時期はわかるけど、ドラマぶつけん だよ〜。バラエティにしろ、クイズにしろ、まったく。

今夜は、「赤い運命」と「世にも奇妙な物語」。明日はいいとして、木曜は、「赤い運命」と「社交ダンス部」(あら、バラエティ・・・)。 テイっ!。「赤い疑惑」が好きだった私は、オンタイムの「赤い運命」は嫌いだったんですね。でも、再放送かなんかで見た時、三国連太 郎は間違ってない、宇津井健のが変と思いました。

それをちゃんと見る機会だったのに。満州とか伊勢湾台風とかは、私らが、ギリギリの話題を、今の時代にまんま問うわけですからね。「 ハルとナツ」も、おしん(山形弁)と同じイントネーションとエピソードにちょっとイラつきますが、見てしまいますねえ。仲間由紀恵ち ゃん(誕生日同じ)が、野際陽子さんになるのはいいとして、あの骨格が骨太の米倉涼子さんが、森光子さんになるのは、無理があるので はと、しみじみ思います。

身長がちゃうでしょう。脊椎が縮まらないと無理だし、だと日本に来れないでしょ。
だから〜。ドラマとドラマぶつけるのは、やめっ。ははは、テレビっ子な私。


2005.平成17年10月3日(月)

■【10月3日・・・残27日】

西向かい行けよゆけよと赤蜻蛉

シバの夢を見ました。シバとは、私の家族、愛犬です。5年前の一月、16歳と2週間で逝きました。夢の中のシバは、うちに来た時と同 じ子犬のままなんだけど、もう老いていて、おしめをしています。

そこで、まず目がさめて、1時間くらい泣いてしまいました。
「ちくしょうが、ちくしょうの行く場所さ行がれなくがっから、泣いだり可哀想だと思ったりすんでねえ」。
祖母に堅く言われてたのに、シバだとダメです。

また寝たら、またシバが登場しました。
シーちゃん、何言いたかったの?。
生きてた時に大事にしてやれよ、ってくらい、無償の愛を私にくれてたシバを邪険にしたというのに、夢は、優しいです、そして、つらい です。 ・・・シバは、私のそばにいて、幸せだったんでしょうか。


2005.平成17年10月2日(日)

■【10月2日・・・残28日】

秋の空男心のあいまいさ

20年ぶりに、22年前の映画『蒲田行進曲』を見てきました。近くの貸ホールで市民団体「古いキネマを見る会」が企画したものです。 22年前から、10回以上見ています。しかし、一度もお金を払って見たことはありません。今日も、受付の手前で、係のあんちゃんに「 1枚余ってますから、どうぞ」とタダでまねきいれてくださいました。

蒲田マジック。22年前は、試写会からはじまって(松坂慶子ちゃんのサインもらっちゃったも〜ん)、誕生日割引etc.とにかくお金 払ったことがない。なんでそんなに行ったか。ふっ。サントラ聴きつぶすくらいの、蒲田フリークでんねん。もう、台詞は、私の血や細胞 の中に入っています。

でも、最後に見たのは、15年以上前になるのかなあ。その間に、いろんなことがあって、今回は、視点が違ってた気がします。銀ちゃん の部屋に二度と来ることがないと決めて掃除してから、玄関前に置く合鍵、ふうう〜。ヤスの故郷に行った時に着てた浴衣の柄、はああ〜。

はじめて見られる方が多くて、階段落ちで泣かれた時には、オイオイと思いましたが、「蒲田行進曲」は、最後があってこそ「蒲田行進曲」 です。 やっぱり、小夏、銀ちゃん、サイコーだ!。そして、ヤス、大好きだ〜。


2005.平成17年10月1日(土)

■【10月1日・・・残29日】

踏切はつるべ落としの間合いなる

今日から、10月だ。まあ、私がリキまなくても10月は10月なんだけど。
私の動物的カンでは、今月からなにかが流れていく気がしてならないのだけど、カンはカンでしかないからなあ。流れてくれい。いや、流 れさす。

とはいえ初日の今日は、9月末日締め切り作品のために、1週間くらい寝てなかったので、寝倒しました。書くのがあるのも幸せだけど、 とりたてて書くものがないちゅーのも手持ち無沙汰なもの。でも、眠いちゃー眠いので、休養。外は、雨だし、寒いし。



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